いろは書く子をあえなくも   ちりぬる命ぜひもなや・・・・・・                剣と死出の山をこえ   あさき夢見し心地して・・・・・・

2008年3月14日金曜日

送別会

 春は送別会が多いですね。

俺は同じ仕事を6年続けてるので、いつも送ってばかりです。

もう、何人送り出してきたか・・・・・・

 送られるって・・・その仕事が最後の日って・・・どんな気分なんだろう。

6 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

コメントしづらいこと書くねw

ただ、別れは新たな出会いと言う。
ゴールは新たなスタートと言う。

なら、人生は新しい発見と出会いに満ちている。

仏の副長 さんのコメント...

 先週、青ぶちと飲んだときに
「定年(65歳)まであと35年、何しよう……つーか、あと35年間も働かなきゃならねーのか。しかも、その35年間働き続ける仕事をそろそろ決めなきゃやべーな……つーか、なんなんだその人生www」
なんて話しをしてました。

ぬぬぬ……なにも見えん!w

匿名 さんのコメント...

人生の「意味」を求めたら、みんなは何て言うだろう。
体裁を整える答えはある。
世間一般にはそろそろ良い年頃で、所帯持って子供産んで育てて、次の世代にバトンタッチ。そうやって自分の遺伝子を残すのが普通だよ「常識」だよ。
こう答えたら、まあそれなりの賛成は得られると思う。
でもその「常識」ってさ、基準がどこにあんのよ?って話にもなる。
例えば俺は結婚したけど、だからって何か変わったかと言えば、さほど何も変わらない。そりゃあ責任や、自分で使うお金稼ぎから生活をするためのお金稼ぎに意識は変わりましたよ。それは最低限の責任だと思うから。
でもさ、だからって自分の信念や価値観を変えるつもりもないわけで、そう考えたら俺だって、明日がどっちの方向にあるかなんてのは未だわかっていない。
「結婚したら、こうあるべきだろ」って奴もいるけど、ごめん無理。少なくとも俺の中では、結婚は結婚であって、それ以上、それ以下の意味も含まない。
結婚して「生きる意味」や「仕事をする意味」を見出す人もいると思うけど、それは「誰かに自分の人生の方向性を決めてもらった」後付けの人生だと思うのね。
もちろん先に全てを見越して人生考えることなんてできないけど、たまたま俺の場合は自分の人生の途中に彼女がいた、くらいなもんで、結婚を人生の転換期とは思っていない。

副長。
それこそこの間長野で話したじゃないですか。
「人生を80年として、一年に一回しか会わなかったら、あと50回しか会えない」って話。
あと35年も、じゃなくて、あと35年しか働けないんだぜ?って考えたらどうよ。
少なくとも、労働と人生を分けて論ずるのが良いと思う。
だって労働も人生のひとつのエッセンスで、労働に縛られた人生なら、前述した「ありもしない常識」に、そのうちハマるぞ。

仏の副長 さんのコメント...

「ありもしない常識」の基準て現実を客観的にみたものじゃないかと思う。
たとえば、「30歳で正社員じゃないのはヤベーよ。」って常識があるとすると今の日本の現実がそうだから。65まで会社という組織の中でいきていくならだけど。
北海道へ行って農業するとかw馬を育てるとかw、自分の店を出すとかするならいいけど、たいていの人は会社という組織の中で生きていくからそうゆう常識がある。
40歳でアルバイト当たり前、50歳で転職当たり前って現実になれば常識も変る。

 働かなきゃ生きていけないって現実がある以上、労働と人生を分けて考えるとそれこそ労働に縛られた人生になるんじゃないかと思う。24時間中、11時間働いたってもし辞めたらいきなり路頭に迷いそうな生活しか送れないんだから労働は人生のエッセンスごときの話しじゃない。だから結婚したり子供が生まれたりして、仕事をする意味にせざるをえない人がいるんだと思う。

 そう考えてると、やはり会社という組織の中で(青ぶちが働いてる会社みたいに数字だけ追いかけて)生きていく人生など考えられないな。まぁ、そんなこと言えるだけ幸せだ、もしくは甘っちょろいなと言われればそれまでなのかね。

匿名 さんのコメント...

コメントしたいんだけど、何気にまとまってなさすぎてどうコメントしたらいいかわからないw

仏の副長 さんのコメント...

前半と後半がまったく繋がってねーなw
夜中にいろいろ考えすぎたか・・・ちょっと来週は運命の1週間になるかもしれなくてちょいテンパってる。
後半は、「なんでこんなに働らかなきゃ生きていけねーんだ!」っていう俺の心の叫びかw