いろは書く子をあえなくも   ちりぬる命ぜひもなや・・・・・・                剣と死出の山をこえ   あさき夢見し心地して・・・・・・

2007年11月12日月曜日

大老 井伊直弼

 『黒龍の柩』を読んでいて、ふと、「井伊直弼」に興味を持ちました。
歴史の教科書などでは、弱腰外交で押されるまま外国と条約を結び開国のために「安政の大獄」で尊攘派を処断し恨みをかって桜田門外の変で水戸藩士に殺された、みたいに書かれてます。
でもね。あのとき開国を叫んだというのは外国の力を知っていたことだと思うんです。鎖国をしてた日本が外国と対等に渡り合えるはずがないと。中国のように植民地にされてしまうと。それだけは避けたいから即刻開国し外国のいいものを取り入れ国力を付けなければいけない、ということだと思うのです。

そう考えると明治を作った薩摩藩・長州藩は、今まで200年続いた幕府を倒すことしか考えていない。ようするに自分が一番になりたいと。逆にその権力を保ってきた幕府の中に、今日本の中で争っているよりも外国から日本を守ろうと考えれる人がいたことに驚かされます。
(ちょっと新撰組寄りの本ばっかり読みすぎかなぁ~?w)
なんか井伊直弼の本探して読んでみることにします。

 しかし・・・たった150年くらい前に自分と同じ歳の人たちが、日本がどう進んで行くべきか語り合ったり、それに命を懸けてたと思うと、「幕末ってなんてゆう時代だ」とも思うし、それに比べて「今の自分はなにやってんだ」とも思います。

 そんなことを考えてたら壬生義士伝の一節を思い出しました。
「ひとっつだけ俺たちとあんたらがちがうところを教えとこうかい。いいか、上司からひとこと「首」と言われたら、俺たちゃ本当に首が胴から離れたんだぜ」

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